1969年から1970年の測量調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 03:38 UTC 版)
「長尾山古墳」の記事における「1969年から1970年の測量調査」の解説
1957年(昭和32年)に発見された長尾山古墳は、1969年(昭和44年)12月と1970年(昭和45年)1月に宝塚市教育委員会と夙川学院短期大学日本歴史研究会が測量調査を行った。測量調査の結果、急斜面の丘陵から伸びる痩せ尾根上に立地する小型の古墳である長尾山古墳は、測量調査のみで墳型を判断することは困難であると断りつつ、古墳(後円部)北側と丘陵との切断部分が直線状であること、後方部南西部から前方部にかけての等高線が直線状であることを根拠として、全長約36メートル、後方部の一辺約25メートル、前方部の高さ約1.5メートル、後方部の高さ約4メートルの前方後方墳ではないかとの結論となった。ただし、調査では前方部と後方部との接合地点である古墳北東部のくびれ部分が弧を描いていることも指摘されており、このくびれ部分が弧を描いていることを重視すれば墳形は前方後円墳である可能性が高くなるが、調査の結論としては古墳北東部のくびれ部分の弧は後世の改変によるものと判断し、今後の調査で墳形について改めて確認の必要があるとした。 また後方部の墳頂部と考えられる場所には、南北方向を軸とした長さ約4.5メートル、幅約1メートルの粘土槨と考えられる黄白色の粘土が露出しているとしており、埴輪列、葺石の存在も確認している。そして墳形などから長尾山古墳は前期古墳ではないかとの結論を導いている。なお、2006年から行われた長尾山古墳の測量、発掘調査の中で、1969年(昭和44年)12月と1970年(昭和45年)1月に宝塚市教育委員会と夙川学院短期大学日本歴史研究会が行った測量調査についてはその正確性が評価されている。
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