1958年: 3歳シーズン
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「アルサイド (競走馬)」の記事における「1958年: 3歳シーズン」の解説
アルサイドはスピードも豊富だったものの、4月30日の2,000ギニーは同厩舎のマイラー、ペルメル (英語版) Pall Mall (IRE) に預け、ダービーに集中することとなった 。シーズン緒戦は4月26日のロイヤルステークス(クラシックトライアル)(サンダウン、10ハロン)で8対11(約1.727倍)の1番人気となったが、レスター・ピゴット騎乗のスノーキャット Snow Cat (GB) に短頭差の2着となった。10日後のチェスターヴェース(チェスター、1マイル4ハロン66ヤード)は不向きなコースだったが 、最終コーナーで先頭に立ち1着となった。続くリングフィールドダービートライアル(リングフィールド、1マイル3ハロン106ヤード)では素晴らしい走りを見せ、スノーキャット含む相手に12馬身の差をつけて大勝した 。 ダービーのアルサイドに多額の出走確定前投票が注ぎ込まれたのは驚くに当たらなかったが、リングフィールドの8日後、アルサイドは馬房で苦痛を訴えているのが発見された。背中のひどい腫れは肋骨の骨折で、何者かの殴打によるものと見られた。この不正な妨害行為によりダービー出走は取り止めとなり、*ハードリドンが1着となった 。3着に入線したナガミ Nagami (GB) との比較は、アルサイドのダービー制覇についての仮説に信憑性を与えている。 アルサイドは休養を余儀なくされたが、怪我から回復すると8月のグレートヴォルティジュールステークス(ヨーク、1 1/2 マイル)に出走した。いつものように最後方を進み、最後の直線だけで2着に12馬身の差を付けて圧勝してみせた。圧倒的な1番人気となったセントレジャーでも最終コーナーを最後尾で周り、ゴール手前2.5ハロンで先頭に立つと 、2着ノンナイサー None Nicer (GB) に8馬身、3着ナガミに更に3/4馬身の差を付けて大勝した 。アルサイドがウイナーズエンクロージャに姿を現すと、喝采が響き渡った。主戦騎手を務めたハリー・カー は回顧録 Queen's Jockey で「アルサイドは私が騎乗した最高の馬でした。しかし彼は、そして彼だけが、レースでいつ無気力を捨て去り本気で仕事に取り掛かるかを決めていました。」と述べている 。アルサイドの払い戻し4対9(約1.444倍)は、1935年にバーラム Bahram (GB) が三冠を達成した際の4対11(約1.363倍)以来の低配当となった 。
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