1947年の橋
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市町村道の改修の一環として寄居橋が旧正喜橋に酷似した鋼製吊り橋として1946年(昭和21年)に竣工され、1947年(昭和22年)12月開通した。橋長89.9メートル、幅員3.9メートル、支間長89メートル。橋の両入口に進入制限用のポールがあり、高さ制限は3.0メートルで、重量制限は2トンである。主塔は段丘崖上の両岸に設けられた基礎の上に設けられ、鋭角な四角錐状の形状で鋼製のトラス構造を持ち、桁は鋼補剛トラス構造で床版は木製である。桁の両側には耐風索および耐風支索と呼ばれる、桁の横変位と捩れを抑制するための鋼ケーブルが設けられている。下部工は直接基礎である。単径間の橋で側径間は有していない。自転車や牛車の他、自動車の通行も可能であった。ただし、重量制限のため、橋には車は1台しか入れなかった。この橋は県管理の最後のつり橋で地元では撤去を惜しむ声あったが、1985年の橋が暫定開通した後に撤去された。右岸側の橋詰に取り付け道路の跡地を利用したポケットパークが設置され、そこに埼玉県が設置した橋の歴史について詳細に記した由来碑や、旧橋の銘板を利用した記念碑が設置されている。また、橋の橋台や取り付け道路も両岸に残されている。
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1947年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:57 UTC 版)
花園橋が開通する以前は「赤浜の渡し」と呼ばれる鎌倉街道に属する渡船4艘を有する私設の渡船 で対岸を結んでいた。場所は橋のやや上流側に位置していたが1815年(文化12年)頃は橋の下流側にある川越岩付近に渡船場が存在していた。開設当初は土橋を架けた時期もあったようだが、夏季に流失するので川船役所に申し立てて許可を受けた上で1815年(文化12年)頃より通年渡船を運行することとなった。この渡船場は1947年(昭和22年)の花園橋の開通により廃止された。橋は橋長185.8メートルで幅員3.6メートルの冠水橋である。
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