1930/1931年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/24 02:21 UTC 版)
「ファーラップ」の記事における「1930/1931年」の解説
9連勝達成後休養を取ったファーラップは8月に復帰した。復帰初戦は2着に敗れたがその後9月半ばから翌1931年3月の始めにかけて14連勝した。メルボルンカップを3日後に控えた1930年11月1日には何者かがファーラップを狙撃する事件が発生したが、これはメルボルンカップに関する賭けでファーラップが圧倒的な人気を集めていたため、配当金を支払いたくないブックメーカーが同馬の出走取り消しを目論んで起こしたのだと噂された(イギリスやオーストラリアにおけるブックメーカーとの賭けでは、賭けの対象となった競走馬が出走を取り消した場合、ブックメーカーは賭け金を返還しなくてよいということになっている)。犯人は捕まっておらず、ブックメーカーではなく新聞記者がスクープ欲しさにやったのだという噂も立った。 ファーラップの連勝は1931年3月7日のC.M.ロイドステークスで2着に敗れたことで途切れたが、レース前にファーラップの担当厩務員は同馬の体調がすぐれないとテルフォードに進言していた。敗戦後テルフォードは出走させたことを悔やみ、ファーラップに休養を取らせることを決めた。なお、この14連勝は当時のオーストラリア競馬の連勝記録であり、長年の間更新されなかったが、2011年10月22日にブラックキャビアが15連勝を記録し、80年7ヶ月ぶりに更新された。 なお、1930年春には前述したデーヴィスとテルフォードとの間で結ばれた契約の期間が満了した。両者は今後のファーラップの所有について協議し、新たにテルフォードがデーヴィスに4000ポンドを支払い2人で共有する契約を結んだ。
※この「1930/1931年」の解説は、「ファーラップ」の解説の一部です。
「1930/1931年」を含む「ファーラップ」の記事については、「ファーラップ」の概要を参照ください。
1930 - 1931年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 09:17 UTC 版)
2月23日に青森で歴代最低の-24.7℃を観測。根室では2月18日に歴代最低の-22.9℃を観測し、2月の平均気温も-10.2℃と観測史上最低となった。
※この「1930 - 1931年」の解説は、「寒冬」の解説の一部です。
「1930 - 1931年」を含む「寒冬」の記事については、「寒冬」の概要を参照ください。
- 1930/1931年のページへのリンク