長崎敏音とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 長崎敏音の意味・解説 

長崎敏音

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 14:32 UTC 版)

長崎 敏音(ながさき としお、1888年 - 不詳)は、日本の土木技術者都市計画家

経歴

福井県に生まれる。1898年、工手学校土木科卒業後、福井県、つづいて千葉県に勤務した。1906年、東京市に移籍。月島芝浦などの埋立事業と河川の改修工事に従事。また、工手学校の教授を務める。

1918年、内務省に都市計画課が設置された際、招請されて六大都市の都市計画に参画。1919年、都市計画実行に移すため、名古屋市土木課長に転出、第一期街路築造事業として六大幹線の計画を樹立し実施する。これは同市の新都市としての計画の噂失となった。

その後、呉市土木課長に転じ、呉港海陸連絡工事などにあたる。1923年には、豊橋市土木課長に招かれ、その後技師長、工務課長、水道部長を兼任、同市の土木、都市計画、営繕事業の推進に尽くした。これにより「豊橋市の長崎」の異名をとる。

街路工事執行に当たって議会との間に軋轢が生じたため、豊橋市に「去り状」を投げつけ、市民へ辞任の挨拶を述べて1936年に退職した。

著書

  • 『実用和洋河工学』(1912年)
  • 『土木工学便覧(上・下)』(1930、1931年)
長崎は多彩な執筆をした人で、学術雑誌には200件もの著述をしている。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長崎敏音」の関連用語

長崎敏音のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長崎敏音のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長崎敏音 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS