1927年5月―6月、カナダ、最終諸犯罪
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「アール・ネルソン」の記事における「1927年5月―6月、カナダ、最終諸犯罪」の解説
1927年6月8日に、カナダのマニトバ州ウィニペグで、14歳のローラ・コーワンは、戸別に造花を販売するために家を出た後、姿を消した。6月10日に、別の地元の女エミリー・パターソンが行方不明になった。彼女は、強姦され首を絞め殺されて、その夜晩くに息子のベッドの下で夫によって発見された。彼女はまた釘抜き金槌で殴打されてもいた。パターソンの夫は、晩祷を捧げるためにベッドサイドでひざまずいて彼女の遺体を発見した。 捜査の結果、警察はパターソンの家からいくつかの品物がなくなっていると断定した。それには、ホイップコード・スーツ、パターソンの金(きん)の結婚指輪、家庭用聖書、そして10ドル紙幣で70カナダドルを含む。焼け跡と傷のついたナイフ1つも家に残されていた。警察は、ナイフが前週にメイとアンソニーの殺害で使用されたランプ・コードを切断したものと一致していることがわかった。 パターソンが殺害された翌日、ウィニペグの地元の宝石商フレッド・イングランドは、それと知らずにネルソンからパターソンの結婚指輪を3.50カナダドルで購入したし、家から盗まれた衣類は地元の中古品店で売りに出されていた。宝石商と衣料品店所有者の両者ともに、ネルソンを彼らに指輪と衣料品を提供した人と肯定的に確認することになる。中古品店の隣に店を所有する理髪師ニコラス・ターボルは、自分は6月10日午後に、ネルソンに似た男に髭剃り、散髪、そしてマッサージを施した、と警察に語った。男の髪を切っている間に、ターボルは彼の頭皮の乾いた血と引っかき傷に気づいた。彼がそれらについて尋ねたとき、伝えられるところによると、その男は興奮し、ターボルがそれらに触れないように要求した。 6月12日にウィニペグで下宿屋複数の市全体の捜索を行っている間、警察はスミス・ストリート133番地のミセス・オーガスト・ヒルの下宿屋に入った。そこにネルソンが最近宿泊していた。彼の部屋を捜索したところ、ベッドの下から腐敗したコーワンの裸の遺体が発見された。コーワンの遺体は、他の犠牲者たちの遺体とは異なって、「切り裂きジャック[の犠牲者たち]を想起させる」("reminiscent of [the victims of] Jack the Ripper")方法で切断されていたと伝えられる。彼女の服や持ち物はなくなっていたし、ベッドで眠っていたのは明らかだったため、警察は、ネルソンはベッドの下で遺体とともに眠ってその夜をすごしたと断定した。 コーワンの遺体が発見された後、ウィニペグ市議会は、責任ある「堕落した犯罪者の有罪判決」("conviction of the criminal degenerate")につながる情報に対して1500カナダドルの報奨金をつけた。ネルソンのいどころに関する情報を何人かの個人が提示した後に、この報酬はその後論争の的となることになる。その中には、自分はコーワンが行方不明になった当日にネルソンをエマーソンからウィニペグまでの乗せたと主張する運転手が含まれていた。
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