1713年-1776年、マサチューセッツ湾植民地役場
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「旧マサチューセッツ州会議事堂」の記事における「1713年-1776年、マサチューセッツ湾植民地役場」の解説
現在のレンガ造りの旧州議事堂は、1712年から1713年にかけて建設されたもので、ロバート・トウェルヴズによって設計されたものではないかと考えられている。その前には1657年に建てられた木造の役場があったが、1711年に火事で焼けてしまった。イギリスの国章である7フィート(2メートル)の木造のライオンとユニコーンを特徴としていた。 もともと、この建物には1階に商人の取引所、地下室に倉庫が設けられていた。2階の東側には総督の会議室、西の端にはサフォーク郡裁判所及びマサチューセッツ邦最高裁判所の裁判官室が置かれていた。2階中央には選挙で選ばれたマサチューセッツ邦議会の議場が置かれた。この議場は、公衆の傍聴席があることで注目され、選挙された議員の議場に傍聴席が設けられた例としては、知られている限り英語圏で初めてである。 1747年火事に遭った後、1748年に内部が再建された。1712年から1713年に建てられたレンガの壁は火事による焼失を免れた。 1761年、弁護士のジェイムズ・オーティスが、総督会議室で、援助令状(関税徴収に関する捜査協力令状)の発付に対し反駁する弁論を行った。オーティスは敗訴したものの、その弁論はアメリカ独立戦争へつながっていく一つの出来事となった。独立戦争中、印紙法会議がマサチューセッツ邦議会で結成された。 1770年3月5日、5人の植民地人がイギリス兵によって殺されるボストン虐殺事件が、この建物の東側すぐの場所で起きた。トマス・ハッチンソンがバルコニーから群衆に帰宅するよう語った。
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