マリア (小惑星)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 05:31 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動マリア 170 Maria |
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分類 | 小惑星 |
軌道の種類 | 小惑星帯 (マリア族) |
発見 | |
発見日 | 1877年1月10日 |
発見者 | アンリ・J・ペロタン |
軌道要素と性質 元期:2007年10月27日 (JD 2,454,400.5) |
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軌道長半径 (a) | 2.553 AU |
近日点距離 (q) | 2.388 AU |
遠日点距離 (Q) | 2.718 AU |
離心率 (e) | 0.065 |
公転周期 (P) | 4.08 年 |
軌道傾斜角 (i) | 14.40 度 |
近日点引数 (ω) | 157.55 度 |
昇交点黄経 (Ω) | 301.46 度 |
平均近点角 (M) | 36.80 度 |
物理的性質 | |
直径 | 44.30 km |
自転周期 | 13.14 時間 |
スペクトル分類 | S |
絶対等級 (H) | 9.39 |
アルベド(反射能) | 0.1579 |
色指数 (B-V) | 0.886 |
色指数 (U-B) | 0.447 |
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マリア[1] またはマリーア[2] (170 Maria) は、小惑星帯に位置するS型小惑星の一つ。マリア族の名前の元となった。
1877年1月10日にフランスの天文学者、アンリ・ジョセフ・ペロタンにより発見された。アントニオ・アベッティにより軌道が計算され、また彼の姉妹の名前に因んで名付けられた。
1997年6月10日にカナダのマニトバ州で掩蔽が観測された。
出典
- ^ 『オックスフォード天文学辞典』朝倉書店、初版第1刷、399頁。ISBN 4-254-15017-2。
- ^ “全世界の観測成果 ver.2 (Excel)”. 薩摩川内市せんだい宇宙館 (2018年3月3日). 2019年3月11日閲覧。
関連項目
外部リンク
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「170 Maria」の例文・使い方・用例・文例
- 「背の高さはどれぐらいですか」「170センチです」
- イングランドとスコットランドは1707年に合併した
- 福音伝播協会は1701年に英国で設立された。
- 千七百二十九万八千(1700,298,000)
- 彼女が小学5年生のとき、すでに彼女の身長は170センチメートルもあった。
- このまま順調に進めば前年比170%ほどの売上高が達成されます。
- スコットランドとイングランドの連合 《1707 年》.
- 初期の英語は1476年から1700年に印刷された書類に表されている
- 初代モールバラ公爵とサヴォイのウジェーヌ王子は、スペイン継承戦争の1704年にフランス軍を破った
- ヨーロッパにおける全面戦争(1701年−1714年)で、ルイ14世が自分の孫をスペイン国王に就任させたときに勃発した
- 170よりも5多い
- 170よりも10多い
- 順序を数える際の序数170
- (非ドイツ人の)プロシア人の死語(1700年以後に絶滅した)
- ドイツ系アメリカ人により1708年に設立されたバプティスト宗派
- 1701年のプロシアの王国になるために拡大した(神聖ローマ帝国の)有権者の領地
- 英国の数学者で、その名前がベイズの定理の命名の由来となった(1702年−1761年)
- 1162年から1170年までのカンタベリーの大司教
- スイスの数学者(1654年−1705年)
- スイスの物理学者で、流体力学および数理物理学に貢献した(1700年−1782年)
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