1544年のシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国分割とは? わかりやすく解説

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1544年のシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国分割

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/18 07:33 UTC 版)

ホルシュタイン公国」の記事における「1544年のシュレースヴィヒ・ホルシュタイン両公国分割」の解説

1544年フレゼリク1世息子クリスチャン3世は、シュレースヴィヒ公国およびホルシュタイン公国領域二人異母弟ハンス老公)とアドルフとともに3分割し、3兄弟が両公国共同支配となったクリスチャン1世異母弟たちは領土分割に際してデンマーク王継承放棄したデンマーク王領(Holstein-Glückstadt)。クリスチャン3世保持した領土で、その子孫である歴代デンマーク王オルデンブルク家)によって継承された。首府ははじめホルシュタイン南東部のゼーゲベルク(Segeberg)に置かれた。1640年シャウエンブルク家ホルシュタイン=ピンネブルク伯が断絶すると、その領地王領併合している。 1648年デンマーク王フレゼリク3世は、シュレースヴィヒおよびホルシュタインにおけるデンマーク王領の統治拠点をグリュックシュタット(Glückstadt)に移したこのため王領シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=グリュックシュタット公国呼ばれるようになった1773年時点で、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=グリュックシュタット公国ホルシュタイン地方における領域は、現在のレンズブルク郡(Rendsburg)、ディトマルシェン郡(Dithmarschen)南部、シュタインブルク郡(Steinburg)、ゼーゲベルク郡(Segeberg)、プレーン郡Plön)に広がっていた。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ハーデルスレーベン公国(Schleswig-Holstein-Haderslev)次弟ハンス老公de:Johann II. (Schleswig-Holstein-Hadersleben))に与えられ領土首都シュレースヴィヒ地方ハザスレウ(ハーデルスレーベン)。しかし1580年ハンス継嗣のないまま死去したため、公国王領シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公国によって分割された。 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公国三弟アドルフ与えられ領土シュレースヴィヒ地方南部都市シュレースヴィヒ近郊にあるゴットルプ(ゴットルフ)城(Gottorf Castle)が居館であり、これを家名とした。 この一族ホルシュタイン=ゴットルプ家)からはのちにスウェーデン王室ホルシュタイン=ゴットルプ王朝1751年 - 1818年)、ロシア皇室ホルシュタイン=ゴットルプロマノフ王朝1792年 - 1917年)が出ている。 領土分割税収平等になるように行われたまた、ホルシュタイン地方少なからぬ部分(主にバルト海沿岸)は、グリュックシュタット公国とゴットルプ公国共同行政を行う形がとられていた。 その後クリスチャン3世末子ハンス若公が「シュレースヴィヒ=ホルシュタインゾンダーブルク公」と称しているが(この家系ゾンダーブルク家呼ばれる)、ゴットルプ公のように両公国共同支配者という格は与えられず、領邦としての実質もなく公爵称号形式的なものであったこのような公爵」は Abgeteilte Herren と呼ばれるゾンダーブルク家記事参照)。その後オルデンブルク家傍系からは「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン」を冠した家名を持つ多数の Abgeteilte Herren が生まれた。このゾンダーブルク家分枝のひとつには、ホルシュタイン地方グリュックスブルク家名に持つグリュックスブルク家があり、現在のデンマーク王家1863年以後)・ノルウェー王家(1905年以後)につながる家門となっている。

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