12海里までの領海確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/28 16:10 UTC 版)
この時代の領海の幅に関する各国の対立は、海洋国と沿岸国の対立を象徴するものであった。自国の海運、遠洋漁業の自由確保のためにかつて多数派の支持を得た3海里領海に固執する海洋国と、自国領海に隣接する公海での漁業資源を他国から守るためにそれまで公海と考えられていた海域に対する自国管轄権を要求する沿岸国との対立である。第二次国連海洋法会議ではアメリカ合衆国とカナダによる6海里の領海の外側に6海里の漁業専管水域を設定するという共同提案が否決されたが、1960年代にはこの方式を採用する国が増加した。1973年に始まった第三次国連海洋法会議では3海里の主張を維持する国は減少して12海里を主張する国が激増し、200海里領海という極端な主張をする国も増加した。このような対立の中で基線から12海里までの領海と200海里までの排他的経済水域を認めるという妥協が成立した。つまり、沿岸国に対し天然資源の開発など経済的目的に特化した権利を認めるけれども、他国に対しても公海並みの船舶航行の自由や航空機上空飛行の自由が認められる水域、として200海里までの排他的経済水域を認める代わりに、領海の許容範囲を12海里までとしたのである。こうしてようやく12海里までという領海の限界線について各国は合意に至り、国連海洋法条約第3条に明記されることとなった。ただし領海を含め国際海洋法の分野では、条約化が進んだ今日でもなお国際慣習法の意義は失われていない。例えば領海が12海里までとの原則は条約としては上記のように国連海洋法条約に初めて規定されたが、この原則は第三次国連海洋法会議の審議を通じて国際慣習法化し同条約を批准していない国をも拘束する。
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