12球団への拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 01:06 UTC 版)
「1967年のメジャーリーグベースボール」の記事における「12球団への拡張」の解説
1967年のワールドシリーズが終了してから6日後の10月18日に、アメリカンリーグのオーナー会議が開かれて、この年最下位に終わったカンザスシティ・アスレチックスがオークランドに移転(この年6月にオークランド市は住民投票で新球場の建設費4,300万ドルの予算を承認していた)することを承認し、あわせて現行の10球団制を12球団制に拡張することを遅くとも1971年までには行うことを決議した。しかも増える2球団のフランチャイズはカンザスシティとシアトルとすることも決めて、ただちに発表されて多くの人々を驚かした。これはブレーブスがミルウォーキーからアトランタに移転した際に、反対するミルウォーキー市が訴訟にまでなった混乱を防ぐための予防措置でもあった。しかし少なくとも4年後には球団を持つことになったカンザスシティはこれに満足せず、ミズーリ州選出の上院議員で政界の実力者でもあったスチュアート・サイミントンらが連盟に圧力をかけたため、アメリカンリーグのジョー・クローニン会長は翌日の19日に再度のオーナー会議を開いて12球団制への移行を2年早めて1969年に行うことを決めた。この突然の決定にナショナルリーグは反発したが、結局11月末にはナショナルリーグも12球団制を採用することを決め、但し実施は当初の案通り1971年とした。早速ダラスとフォートワース、バッファロー、ミルウォーキー、サンディエゴ、デンバーが誘致に動き始めて、翌年春にはアメリカンリーグと同じく1969年から実施することとなった。
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