100メートル10秒24について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 01:36 UTC 版)
「藤井實」の記事における「100メートル10秒24について」の解説
藤井が東京帝大運動会の優勝者競走で記録した100メートル10秒24は、田中舘が助手の田丸節郎や寺田寅彦と製作した電気計測器によって測定された記録だった。この装置は、コース沿いの電線、1秒間に3cmずつ線を記録するテープ、スタートおよびゴール時を電線の電流遮断で記録するテープで構成され、二つのテープを科学用の計測尺で測定することでその間の時間が1/100秒単位でわかるというものだった。短距離走において記録を左右するファクターである風については、藤井は後年の手記で「極めて僅かな逆風」と記している。 この記録は、当時世界でおこなわれていた100メートルおよび100ヤード競走の記録と比較しても隔絶したものであった(当時は国際陸上競技連盟の発足前で、公式の陸上競技世界記録はまだ存在しなかった)。田中舘はこの記録および棒高跳の記録について報告書を欧米に送ったところ、アメリカやドイツのスポーツ年鑑に掲載されたという。一方、アメリカのアマチュア陸上連盟は「証拠不十分」として採用しなかったとされる。また前記の年鑑への記載について「記載はされたが公認はされなかった」とする文献もある。 日本国内では、藤井と面識のあった辰野隆は『スポオツ随筆』の中で「タイム計測の誤り」、(自分と並んで走ったときの経験から)「11秒24の誤りではないか」と述べた。この文に対して藤井は激怒し、田中舘も「科学者の名誉に賭けて、あの設備と計測に間違いはなかった」と述べたという。織田幹雄は辰野の言う11秒24なら「納得できないわけではない」と記している。 スパイクや棒高跳のポールにも見られるように、藤井は研究熱心であったが、それらはすべて独学で身につけたものだった。スタートダッシュのタイミングを早めるために百人一首を練習することで、スターターがピストルを発射する間合いを知る感覚をつかんだという。 藤井が後年、外交官として欧米に赴いた際には、「100メートルの世界記録を作った人物」として扱われることがひとたびならずあったとされる。 なお、日本陸上競技連盟の公認記録(電気計時)が10秒24を初めて上回ったのは、1991年に井上悟が樹立した10秒20で、藤井の「記録」から89年後であった。
※この「100メートル10秒24について」の解説は、「藤井實」の解説の一部です。
「100メートル10秒24について」を含む「藤井實」の記事については、「藤井實」の概要を参照ください。
- 100メートル10秒24についてのページへのリンク