100万がどうした?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 02:34 UTC 版)
「クラレンス・ハウ」の記事における「100万がどうした?」の解説
1945年にハウが戦争に使うと見込まれる予算(13億6,500万ドル)に関する議論をしているときに、ハウは、以下にこの額を減らすことができるかという野党の質問に対して、「私の栄誉ある友人がその額から100万ドルを減らすことができるかもしれないが、戦費法案からの100万ドルが大変重要な事項にはならない」と答えた。サスカチェワンのトーリー党議員ジョン・ディーフェンベーカーが翌日、ハウは「我々は100万ドルを節減できるかもしれないが、それがどうしたというのだ」と言ったと語った。ハウはその引用に怒って否定し、ディーフェンベーカーのことを「歪曲の達人」と非難したが、その言葉は議会で不適切だと取り消しを強いられた。ディーフェンベーカーはその後この話をさらに鋭いものに変えていき、最後はハウが「100万がどうした?」と言ったことになった。ハウがそのような発言をしていないことを知っていた自由党員ですら、ハウが言った可能性がある言葉だと合意するようになった。その後の時代に「100万がどうした?」という言葉は自由党を攻撃する場で使われ、特にハウに向けられることが多かった。 1942年、カナダはアメリカやイギリスと共に、合同生産資源委員会への加入を要請され、その委員となった。ハウはカナダの首席実行委員となった。
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