黄禹錫疑惑報道の経緯
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PD手帳は、ソウル大学校教授(当時)黄禹錫(ファン・ウソク)グループのES細胞論文に対する疑問を最初に提起した番組としても知られる。捏造疑惑を放送した後、放送内容や取材手法をめぐってMBCに抗議が殺到し、デモが行われるほどの事態となった。この余波で一時は放送休止に追い込まれていたが、2006年1月3日に放送を再開した。 2005年11月22日 - PD手帳が「ファン・ウソク神話の卵子疑惑」と題して卵子売買をスクープ。 11月下旬 - 「国益を損じた」としてPD手帳のスポンサーに対して韓国国内で不買運動がスタート、全スポンサーが降板。MBCに対し「国益を損なった歪曲報道を謝罪せよ」とのデモが行われる。 11月26日 - MBC本社前で午後4時から2時間に渡り抗議のろうそくデモが行われる。 12月2日 - 6日のPD手帳第二弾追及特集の放送を前に、取材に協力したピッツバーグ大学所属の研究員が「MBCに圧迫的な取材を受けた」と説明、PD手帳の取材倫理が問われる事態になる。しかし、黄禹錫チームから研究員へ5万ドルの口止め料とも取れる大金が渡っていたことが後で判明。 12月4日 - PD手帳の責任者を刑事処罰せよとの抗議運動で韓国最高検察庁のサーバがダウン。 12月7日 - MBC、PD手帳の放送を中断。 12月15日 - MBC、突如午後10時に特別番組「特集 PD手帳はなぜ再検証を要求したのか」を放送。これまで報道できなかった内容を追加で放送した。 12月23日 - 中断されていたPD手帳が1月3日から再開させると発表。 2006年1月3日 - PD手帳放送再開。テーマは「幹細胞神話の真実」。
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