鹿児島市編入後の武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 14:33 UTC 版)
「武 (鹿児島市)」の記事における「鹿児島市編入後の武」の解説
1911年(明治44年)の西武田村大字武の一部が鹿児島市へ編入されて以降(前述)、1934年(昭和9年)に西武田村の全域が鹿児島市に編入されるまでの間(後述)、武は鹿児島市に属する「武町」と、西武田村に残存している「大字武」が存在した。 1913年(大正2年)10月11日には鹿児島市武町に川内線(後の鹿児島本線の一部)の武駅が設置された。この武駅は1927年(昭和2年)10月14日に西鹿児島駅に改称し、2004年(平成16年)には九州新幹線鹿児島ルート開業に伴い、鹿児島中央駅に改称している。 1934年(昭和9年)8月1日に西武田村が鹿児島郡中郡宇村及び吉野村と共に鹿児島市に編入された。同日発行の鹿児島県公報に掲載された鹿児島県告示「 鹿兒島市内大字名廢止町名改稱竝ニ區域變更」により「大字武ノ區域ヲ武町ニ編入」することが鹿児島県知事によって許可され、西武田村の大字武の全域が鹿児島市武町に編入された。 第二次世界大戦中の鹿児島大空襲では、西鹿児島駅付近において爆撃が行われ、西鹿児島駅が焼失したほか、西鹿児島駅の近隣に所在していた鹿児島師範学校が焼失した。 1970年(昭和45年)に西鹿児島駅前一帯(中洲工区)において住居表示が実施されることとなり、町界町名の変更が実施された。武町・上荒田町・上之園町・西田町の各一部より中央町が設置され、一部が上之園町に編入された。 1975年(昭和50年)6月27日には武・西田地区において住居表示が実施されることとなった。それに伴う町域再編により、武町・上荒田町の各一部より「武一丁目」、武町の一部より「武二丁目」、武町・西田町の各一部より西田二丁目、武町・常盤町・西田町の各一部より西田三丁目が設置された。1980年(昭和55年)7月28日には、武・田上地区において住居表示が実施されることとなり、武町・田上町・常盤町の各一部より「武三丁目」が設置され、武町の一部が武一丁目及び武二丁目の一部に、西田町・常盤町・武町の一部が西田三丁目に編入された。また、同年には1967年(昭和42年)に計画が決定された「武・田上地区土地区画整理事業」が完工した。総事業費は65億7500万円であった。 1986年(昭和61年)2月10日には東田上・田上団地地区において住居表示が実施されるのに併せて町域再編が実施され、田上町の一部及び武町の全域より田上一丁目が設置された。同年7月10日には豪雨を原因とするがけ崩れが武二丁目において発生した。 1990年(平成2年)2月13日には田上町中園地区において住居表示が実施されることとなり、それに伴い町の区域の再編が実施された。田上町及び田上一丁目の一部が武三丁目に編入された。
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