鮎川に伝わる大鰻の逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 03:11 UTC 版)
「富田川のオオウナギ生息地」の記事における「鮎川に伝わる大鰻の逸話」の解説
富田川上流の山間部入口付近に位置する鮎川地区(現・田辺市鮎川)には、大正末期から昭和初期頃に起こった、とある大鰻(オオウナギ)に関する逸話が残されている。 ある日、鮎川村の村人が、村の上流部にあたる北郡(ほくそぎ)地区から蕨尾橋(今日の道の駅ふるさとセンター大塔付近)あたりの富田川沿いを歩いていると、川の中に今までに見たことのない巨大なウナギを見つけたため、急いで村人を呼びに行き、温泉宿から蚊帳を5帖用意して村人たちはオオウナギを捕獲した。水槽に入れたオオウナギを前に村人たちは、このまま水槽で飼おう、川へ戻そう、料理して大勢で食べよう等、このオオウナギをどうするか相談をしたが、このような珍しいものを大勢の人に見てもらってはどうか、という意見にまとまり、見世物にして夜店を出すことに決まった。早速オオウナギは馬車の乗せられて運ばれ、田辺の大浜通り(現・県道田辺港線)で夜店が開かれたが、オオウナギは大変な人気となり大勢の人が夜店を訪れた。たくさん儲かった村人たちは、次は日高の御坊で夜店を張ろうと考え、当時は田辺まで鉄道が開通していなかったため、オオウナギを船に積んで御坊へ運び夜店を開くと、御坊では田辺以上に人が集まって大繁盛となり大変な儲けとなったが、当のオオウナギは疲れ果て食欲も無くなっていた。しかしお金に目を奪われた村人達は、『今度は和歌山へ、その次は大阪で見世物にしよう』と考え、和歌山へ着いた村人たちは田辺や御坊で儲けたお金を使い、和歌山での夜店を開く前祝と称して、夜通し飲めや食えやの大騒ぎをして儲けたお金を散財した。宿に戻った村人がオオウナギの様子を見ると、すでに腹部を上にしてオオウナギは死んでしまっていた。和歌山での夜店も開けず、金儲けの当てもはずれた村人たちは、落胆するとともに、自分たちの行動を反省し、オオウナギに対する申し訳ない気持ちと、お金に目がくらんだ自分たちを恥じ、人間の本当の幸せとは何だったのか、村人たちは深く考えあったという。 このオオウナギはその後、鮎川地区で旅館を経営していた佐々木家に剥製として保管され、1936年(昭和11年)6月に鮎川を訪れた東久邇宮稔彦王に披露されたという。当時の記録には、全長6尺3寸(約191センチメートル)、重量5貫600匁(約21キログラム)とあり、日本国内で確認されたオオウナギの中でも最大級のものである。剥製は後に2009年(平成20年)所有者の佐々木家から田辺市大塔公民館へ寄贈され、田辺市教育委員会によって大切に保管されている。
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