魚沼軽便線 → 魚沼線とは? わかりやすく解説

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魚沼軽便線 → 魚沼線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 15:48 UTC 版)

国鉄の特殊狭軌線」の記事における「魚沼軽便線 → 魚沼線」の解説

旧社名魚沼鉄道 区間新来迎寺 - 小千谷買収1922年6月15日 改軌行われず休止(公式には1954年8月1日) 当線は上越北線現在の上越線)が並行して開業したために青息吐息の状態で、1921年には補償申請して廃止届を出すところまで行っていた路線が、一転して国有化されるという特異な経緯たどったのである表向き鉄道敷設法別表規定されていた来迎寺 - 小千谷 - 岩沢間の予定線重なることと、沿線に軍の駐屯地があったことを根拠買収されており、他の路線同じよう予定線重複にともなう買収、また一種補償買収にも見えるものであった。しかし実際のところ当線の買収地元有力者会社当時与党立憲政友会働きかけたことによって起こったもので、買収決定野党憲政会による激し反対立憲政友会無理矢理押し切る形で行われるなど、特定の政党単独計画し力にものをいわせて強行するという、きわめて政治色の強いものであったこのような経緯があったため路線経営状態そのもの度外視であり、国有化後も並行線の問題依然重くのしかかって当線の経営圧迫し続けたさらには貨物需要担っていた発電所工事中止や、第一次大戦後軍縮によるあおりで軍の駐屯地閉鎖されたことで存在意義低下改軌されずに塩漬け態となり、ついには不要不急線指定されて、1944年10月15日全線休止されてしまった。 戦後1954年にほぼ同じ経路1067mm軌間魚沼線建設され、公式には特殊狭軌線が改軌されて復活した後継路線とされている。しかし実際には既に線路消滅していた旧線路盤流用しながら新線改め敷設しており、実質的には「旧線改軌して新線にした」というよりも「旧線廃止して新線一から建設し直した」という方が当たっている。なお、再建の際に来迎寺西小千谷周辺大きくルート変更されており、この部分は完全な新設ということになる。その再建され魚沼線1984年廃止されたため、いずれにせよ路線現存しない。 なおこの魚沼鉄道買収まで、国有鉄道としての路線名は「○○軽便線」とされていたが、1922年9月2日に「軽便線」の呼称廃止され特殊狭軌線も他の路線同じく単に「○○線」と命名されるようになった。当線の最初線名である「魚沼軽便線」が、途中で魚沼線」と改称されたのもそのためである。

※この「魚沼軽便線 → 魚沼線」の解説は、「国鉄の特殊狭軌線」の解説の一部です。
「魚沼軽便線 → 魚沼線」を含む「国鉄の特殊狭軌線」の記事については、「国鉄の特殊狭軌線」の概要を参照ください。

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