魂の鍛練
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 23:52 UTC 版)
ストア派にとって哲学とは単に信念や倫理的主張を集めたものではなく、持続的な実践・鍛錬(つまり「アスケーシス」、禁欲主義を参照)を伴う「生き方」である。ストア派の哲学的・霊魂的な実践には論理学、ソクラテス的対話や自己対話、死の瞑想、今この瞬間に対して注意し続ける訓練(ある種の東洋の瞑想と同様である)、毎日その日起こった問題とその可能な解決法について内省すること、ヒュポムネマタ、等々がある。ストア派にとって哲学とは常に実践と反省を行う動的な過程なのである。 著書『自省録』において、マルクス・アウレリウスはそういった実践のいくつかを規定した。例えば、第II巻第1章にはこうある: 早朝に自分に向って言う: 私は今日恩知らずで、凶暴で、危険で、妬み深く、無慈悲な人々と会うことになっている。こういった品性は皆彼らが真の善悪に無知であることから生じるのだ[...]何者も私を禍に巻き込むことはないから彼らのうちの誰かが私を傷つけることはないし、私が親類縁者に腹を立てたり嫌ったりすることもない; というのは私たちは協働するために生まれてきたからである[...] アウレリウスに先行して、エピクテトスが『語録』において三つの主題(トポス)、つまり判断、欲望、志向を区別している。フランスの哲学者ピエール・アドによれば、エピクテトスはこの三つの主題をそれぞれ論理学、自然学、倫理学とみなした。『自省録』において「各格率はこれら非常に特徴的な三つのトポスのうちの一つあるいは二つあるいは三つ全てを発展させる」ものであるとアドは書いている。 Seamus Mac Suibhneによって、魂の鍛錬の実践は反省的行動の実践に影響を及ぼすものとされている。。ストア派の魂の鍛錬と近代の認知行動療法とが相似していることがロバートソンの『認知行動療法の哲学』において長々と詳述されている。また、こうした実践重視の姿勢はソクラテスの「ただ生きるのではなく、より善く、いきる」につながる考え方だと思われる。
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