高砂義勇隊慰霊碑
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台湾では戦後、台湾原住民の周麗梅が慰霊碑を建立し、現在は長男の邱克平、甥の簡福源が管理しているが、慰霊碑の敷地を提供していた台北郊外の観光会社が、新型肺炎(SARS)流行による日本人観光客激減で倒産し、維持管理が困難になったことから慰霊碑は撤去されそうになった。この事態は産経新聞(2004年7月4日付朝刊1面)に「高砂義勇兵慰霊碑に撤去の危機」と題して掲載され、読者などが「慰霊碑を守る会」を作って義援金を募集した[要出典]。その結果、3,398件の寄付の申し出があり、総額3,201万2,391円に上る義援金が集まり、慰霊碑は移転させて存続する事になった。 これを受けて、2005年8月には日本側の支援の動きに呼応して建立委員会(代表烏来郷元郷長(町長)簡福源氏)ができ、社団法人「台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会」の設立準備を進める一方、台北県から県有地の提供を受けることで交渉がまとまった[要出典]。 その後、2006年2月8日に慰霊碑の移設は完了したが、17日に中国時報により日本を賛美する碑文であると報道されたことから反発が広がり、敷地を提供している台北県政府は慰霊碑の撤去を命令した。地元側は撤去に反対し、24日には、強制撤去に着手した県政府と地元側の衝突が発生した。 話し合いの結果、記念碑は存続し、日本の遺族団体などが寄贈した、「皇民」など日本語が入った石碑8基を撤去するというギリギリの妥協案で決着した。しかし記念碑側面に刻まれた「大和魂」などの日本語の文言は覆い隠され、説明が無ければ慰霊碑であることすら分かりづらいものとなっている。撤去された8基の石碑は当面、台北県風景管理局に保管されている[要出典]。なお、慰霊碑撤去を要請した県長は中国国民党所属であり、民主進歩党は撤去に反対していた[要出典]。
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