騎手生活の幕引き
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1999年1月に調教師試験を受験、12月16日に調教師試験の合格が発表され、30日限りで騎手引退が決まった。調教師へ転進を決めた理由として、調教中に腰を痛めたことが契機となった。体調管理については、特別なトレーニングはしておらず、代わりに毎朝午前2時半から7時まで競馬場で調教するのがトレーニング代わりとなっていた。競馬開催期間は21時に就寝するが、「すぐ騎手と分かるのであまりだらしない真似は出来ないが」と断った上で、休みの時は騎手仲間と飲みに行くときもあったという。怪我や大病などによる長期離脱もなく騎手生活を過ごしてきたが、1998年5月にあばら骨を骨折したことにより初めて騎乗を断念。1999年1月には腰痛も患った。。金山本人は生来の病院嫌いであり、幼少時から通院はもちろん、38歳の時に夫人の強い説得で人間ドックに入ったのが、唯一の入院経験であったという。 1999年12月30日、帯広競馬場の第10レースのウインターカップが最後の騎乗となり、最終レースは5着、現役騎手最年長として騎手生活を終えた。金山は「今までいい馬に乗せてもらい満足。今後は愛される強い馬をつくりたい」「できれば区切りのいい三千三百勝を挙げて終えたかったんですが、こればかりは仕方ありませんね。」と最後の思いをファンの前で語った。金山は「最後の場内の実況中継で、アナウンサーが『三千二百九十九勝の夢をありがとう』って言ってくれて、あのときは本当にグッときました」と振り返る。
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