騎手晩年
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1970年に日本騎手クラブの会長に就任している。 1972年、和田共弘・北野豊吉・藤田正明ら馬主9名の協力を得て「日本ホースメンクラブ」を結成。目標は、馬主が出資した資金を元手に購入した競走馬をヨーロッパの厩舎で管理し、本場の大レース優勝を目指すというものであった。野平はフランスに長期滞在して競走馬の調達を担当。同時に騎手として現地のレースに騎乗した。この遠征において野平は同クラブが所有するビバドンナに騎乗してドーヴィル競馬場で行われたレースを優勝し、日本人騎手として欧州のレース初勝利を挙げた。また、日本から遠征してきたメジロムサシに騎乗して凱旋門賞(19頭中18着)、ワシントンD.C.インターナショナル(9頭中7着)に出走した。 7月30日には通算1296勝をマークし、中央競馬最多勝記録を更新した。
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