騎手生活の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 09:11 UTC 版)
「渡辺正人 (競馬)」の記事における「騎手生活の始まり」の解説
中村への弟子入り後2年間は厩舎でさまざまな修行を積み、1933年に騎手免許を取得すると、中村厩舎の出張馬房があった横浜で初騎乗し初勝利を挙げる。師匠譲りのモンキー乗りの騎乗フォームで、騎乗技術の評価はデビュー当時から高かった。しかし、1941年の秋には召集を受け戦地に赴くことになり、実に5年近く競馬から離れることになる。 1946年に復員し騎手に復帰するも、師である中村一雄は戦時中の競馬中断を機に実業家に転身してしまい、競馬再開後は競馬界に戻ってこなかった。結局渡辺は厩舎に所属することなく、中村一雄の弟である中村広厩舎で騎乗するなど、縁故のある厩舎に籍を置かせてもらう形をとったものの、当時の調教師と所属騎手は師弟関係はもちろんのこと、家族同然の関係でもあったため、拠り所を失った渡辺は競馬サークル内の「孤児」となって苦労する。実際、復帰してからの3年間の勝鞍はわずか10に留まる。 そういった苦境から、持ち前の話術と騎乗技術を活かしてみずから営業し騎乗馬を集めるようになるが、これが後年にいたり、同様にみずからフリーランスとして活動する騎手が多くなった際、存在の嚆矢とされることになり「日本競馬初のフリー騎手」として認知されるようになる。
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