騎兵と装備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:52 UTC 版)
唐軍は、隋末の戦乱において、馬に甲冑をつけない機動力にすぐれた軽騎兵を活用した。軽騎兵は唐の統一戦や突厥との戦いにおける勝利に多大な貢献を果たした。そのため、馬に鎧をつけ、防御力や突進力にすぐれるが、馬の持久力や機動力で劣る重騎兵を中心とした隋代に代わり、唐代を通して軽騎兵が騎兵戦力の主力となった。 初唐では重騎兵は皇帝の儀仗隊に使われるようになり、唐の太宗や唐軍を指揮して騎馬民族に騎兵を用いて勝利を重ねた李靖は軽騎兵を重んじた。唐の軽騎兵は基本的に騎手は鎧をつけ、奇襲や追撃に戦果をあげた。機動力を生かすため、軽騎兵は戦闘の正面に立たず、歩兵の両脇に配置された。唐代には、両方の足にかける鐙が用いられ、騎兵の技術は向上した。 馬は、騎馬民族の交易によって購入され、回鶻とは特に大量の絹や茶と引き替えに、馬を交易で手にいれた。唐政府は馬政に力をいれ、辺境の牧場で馬を養育し、そのための機関がつくられていた。 軍の装備として、騎兵は武器として馬上刀や矛(槍)、戟、などを用い、円形の盾を使い、鎧として主に「護心」と呼ばれる楕円形の磨かれたプレートを使った明光鎧を装備した。歩兵は矛(槍)や陌刀、刀を武器とし、長方形か楕円の盾を持った。歩兵も明光鎧が装備として用いられ、軽装な歩兵は、氈装という毛織物の衣を身につけていた。盾は漆で補強した木製が主で、騎兵、歩兵ともに弓や弩が多く用いられ、歩兵の装備は軽装なものが多かった。武器は戟に替わって槍(矛)が多く用いられるようになった。
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