騎兵の防御
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:03 UTC 版)
「第二次ウィンチェスターの戦い」の記事における「騎兵の防御」の解説
ミルロイはウィンチェスターの周りに哨兵を配置したが、偵察は疲れるものだったためにウィンチェスターに非常に近く配置されたので、ミルロイは周りの事情を掴んでいないのと同じだった。ミルロイが離れた歩哨を置いたことも恐らくはその管轄地域で起こり続ける様々な南軍の襲撃を抑えるようとして蒙った大きな損失のせいだった。2月26日に起こった衝突では、第1ニューヨーク騎兵隊と第13ペンシルベニア騎兵隊を襲撃者追撃に派遣したが、南軍O・R・ファンステン大佐の指揮する第7および第11バージニア騎兵隊と遭遇し、12名の士官を含み197名の破壊的損失を蒙っていた。ミルロイはまた6月に向かう月日の間にジョン・S・モスビー大佐のレンジャーズの多くを捕まえ殺すことを想定して、他の大きな偵察騎兵襲撃をしばしば報告していた。しかし、モスビー・レンジャーズの記録にはこれら戦闘の大半を裏付けるか言及するものはなかった。ミルロイが南に配した最も遠い歩哨はウィンチェスターからわずか4マイル (6 km) 南、オペクォン・クリークの渡しにあるパーキンスミル砲台近くに配された。ウィンチェスターの西に配された北軍歩哨の記録では南軍を見ることも遭遇もしていなかった。
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