駒澤大学教授・總持寺後堂、安泰寺での遷化
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1935年(昭和10年)4月、駒澤大学教授に就任。12月には總持寺後堂に就任。鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。 「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。1940年(昭和15年)10月、栃木県下都賀郡富山村の大中寺に天暁禅苑を開単する。1941年5月、中国東北部(満洲)巡錫。6月、総持寺後堂を退任。翌年5月、再び中国東北部に再巡錫。1943年(昭和18年)、東京都渋谷区千駄谷町に至誠寮を開く。翌年3月、至誠寮は戦時強制疎開によりて撤去されたため、渋谷区大和田町の丸山鶴吉宅に移転。1946年(昭和21年)4月、大桐院(静岡県森町)専門僧堂堂長。妙説庵(京都市)尼僧堂堂長。1949年6月、東京都港区芝三田松坂町、藤田次郎宅に移転。同宅にて参禅道場を開く。8月、京都市・安泰寺に紫竹林参禅道場開設。坐禅の指導に当たり、安泰寺では弟子の内山興正と共に後進の指導に当たった。1963年(昭和38年)3月、駒澤大学教授を辞任、7月は発病のため京都・安泰寺に引退・移動叢林終わる。 1965年12月21日午前1時50分、安泰寺にて遷化。遺体は京都大学解別室へ献体。
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