駐日ペルー公使からの情報(1941年1月)
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「真珠湾攻撃陰謀説」の記事における「駐日ペルー公使からの情報(1941年1月)」の解説
当時駐日アメリカ大使館員だったフランク・シューラーの追想によると、ペルーの特命全権公使リカルド・シュライバーが「真珠湾攻撃を至急米政府に通報してほしい」と述べたあと、話を聞き終わったグルーが「あなたは、米国と世界に偉大な貢献をされました。すぐに国務省に電報を打ちましょう」と感極まった口調で言ったものの、本国に通知をするのを意図的に避けたという[要文献特定詳細情報]。『パールハーバーカバーアップ』で翻訳者の仲晃は「あとがき」において、ハル国務長官の回顧録(1948年、マクミラン社刊、下巻)から「グルー大使が東京から(1941年)1月27日、次のように打電してきた。それによると、駐日ペルー公使が『日本とアメリカの間で事が生じた際、真珠湾に大規模な奇襲攻撃をかけることが、日本の軍部によって計画されている』と云う話を、日本人を含む多数の筋から聞いたと語ったという。この攻撃には、.....。ペルー公使は、グルーに対して、自分としては日本側のこのような計画は奇想天外だと思うが、たくさんの筋から聞いたのでお伝えしようと思ったのだ、と告げた。われわれ(国務省)は翌日、この公電の内容を陸軍省と海軍省に伝達した(下略)」という箇所を引いている。 今野勉はこの内容は、シュライバーから「一日本人を含む複数の情報」として「万一日本がアメリカと紛争になった場合、全軍事力を使用して真珠湾に大攻撃を加える意図を持つ」という話を駐日アメリカ大使館員(一等書記官クロッカー)が聞き、それを伝えられたグルーが電報を打ったとしている[要文献特定詳細情報]。今野は「一日本人」はペルー公使館の日本人通訳であったという、ジョーン・D・ポッター著『太平洋の提督』の記述を紹介している[要文献特定詳細情報]。グルーの電報内容はアメリカ海軍にも伝えられたが、海軍作戦部長のハロルド・スタークは太平洋艦隊司令長官のキンメルに対して「海軍情報部としてはこの流言は信じられないと考える」「予測できる将来において、こうした行動が計画されているとは考えられない」という内容の電報を2月1日付で送っている[要文献特定詳細情報]。日本海軍内部でもまだハワイ攻撃の案を知る者がほとんどいなかった時点でこの発言があったことについて、今野は松尾樹明(en)という人物が1940年に出版した『三国同盟と日米戦』(霞ヶ関書房)が、日米戦争は不可避でその場合日本は開戦劈頭に奇襲艦隊で真珠湾を攻撃してハワイを占領するべきだと記していた影響をあげている[要文献特定詳細情報]。
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