駅の変遷と大津線とは? わかりやすく解説

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駅の変遷と大津線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:46 UTC 版)

大津駅」の記事における「駅の変遷と大津線」の解説

初代大津駅は、京都駅からの路線延伸により現在の京阪電気鉄道びわ湖浜大津駅がある場所に1880年開業した東京神戸を結ぶ鉄道建設の中で、新政府財政難により、当面琵琶湖水運活用することになったこのため大津駅長浜駅船着き場直結する位置建設され乗客鉄道連絡船乗り換えた日本初鉄道連絡船である大津駅 - 長浜駅航路太湖汽船担当し、日に3便、所要時間およそ3時間であったが、強風等で運休となることも度々あるなど、必ずしも安定した輸送手段ではなかった。 列車は、馬場駅(現:膳所駅)でスイッチバック行って大津駅入っていた。逢坂山越えてきた線路は、湖岸から高い位置にあり、逢坂山トンネル出口から直接大津駅に向かうことはできず、一旦馬場駅スイッチバックを取る形となったその後琵琶湖東岸での鉄道建設進み1889年明治22年)に湖東線膳所駅 - 米原駅 - 関ヶ原駅開業東海道本線全通したことにより、琵琶湖航路廃止馬場駅 - 大津駅旅客営業廃止に伴い東海道線貨物支線となった大津駅支線貨物駅となった1898年明治31年)に、請願により旅客営業再開された。この時に新設され紺屋関駅石場駅の間はわずか0.3哩(≒500m)で、当時官鉄最短駅間区間であった1909年明治42年)には、線名制定により大津線命名される1913年大正2年3月京阪石山坂本線前身となる大津電車軌道が、旅客営業開始すると、大津線旅客営業廃止、再び東海道本線貨物支線となる。同年6月に、馬場駅2代目大津駅に、初代大津駅浜大津駅改称したその後2代目大津駅 - 京都駅を、新逢坂山トンネル開通短絡することに伴い新線上に3代目大津駅を、それまでの駅より西側設置し2代目大津駅馬場駅に再び改称され貨物駅となった1934年昭和9年)に、再び旅客駅となり、膳所駅改称された。 貨物支線は、1913年大正2年)から京阪石山坂本線共用していたが、軌間異なるため、三線軌条となっていた。1947年昭和22年)に近江今津から江若鉄道直通運転したが、江若鉄道廃止に伴い1969年昭和44年)に廃止された。 国鉄時代は、京都駅同一業者による、駅弁販売されていた。

※この「駅の変遷と大津線」の解説は、「大津駅」の解説の一部です。
「駅の変遷と大津線」を含む「大津駅」の記事については、「大津駅」の概要を参照ください。

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