馬術競技者としてのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 05:56 UTC 版)
「ライナー・クリムケ」の記事における「馬術競技者としてのキャリア」の解説
クリムケは、乗馬や馬学をハリー・ボルト(英語版)とグスタフ・ラオ(ドイツ語版)に学んだ。 クリムケはのちに、特に馬場馬術競技において優秀な成績を残す。しかしながら、選手として駆け出しの頃は、総合馬術競技にも出場しており、例えば、1959年のヨーロッパ選手権大会では3日間かけて行われる総合馬術団体に西ドイツ代表チームの一員として出場した。また、1960年の夏季オリンピックでは総合馬術個人に統一ドイツ代表選手として出場して、18位の記録を残した。さらに、障害飛越競技に関しては、ベルリンで行われた大会で大賞を受賞している。 1960年代から1980年代にかけて、馬術競技者として主に馬場馬術(ドレッサージュ)の分野において輝かしい成績を残すが、クリムケ自身の言葉によれば、成功の50%以上は、彼が騎乗した馬匹の力によるものである。クリムケが騎乗し、オリンピックや世界選手権で優秀な成績を残した馬匹を、クリムケの騎乗年代順に並べる。 Fortunat Dux Mehmed Ahlerich Biotop 夏季オリンピック競技大会には、1960年ローマオリンピックから、1988年ソウルオリンピックまで、1972年ミュンヘンオリンピックと1980年モスクワオリンピックを除いて毎回出場した。馬場馬術団体、馬場馬術個人あわせて、金メダル6つと銅メダル2つを獲得した。これは馬術競技において、一人の人物により獲得されたメダル数の最多記録である。金メダルは、ドゥックス(Dux)号と共に1964年と1968年に馬場馬術団体に出場し獲得した。また、メフメト(Mehmed)号と共に1976年に馬場馬術団体に出場し獲得した。また、アーレリヒ(Ahlerich)号と共に1984年と1988年に馬場馬術団体で獲得し、1984年には馬場馬術個人で獲得した。1968年と1976年には、総合馬術個人でそれぞれ銅メダルを獲得した。 馬術競技の世界選手権大会においても好成績を残しており、金メダルを6個獲得している。内2個は個人で、1974年にメフメト号と、1982年にアーレリヒ号と獲得した。残り4個は団体戦で獲得した(1966, 1974, 1982, 1986年)。ヨーロッパ選手権大会においては、通算して団体で7つ、個人で3つの金メダルを獲得した。
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