首相辞任へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:46 UTC 版)
「エフード・オルメルト」の記事における「首相辞任へ」の解説
2008年5月21日、トルコの仲介で、シリアとの非公式の和平交渉を再開した。 7月11日、複数の公的機関から経費を多重に請求していた疑惑が浮上。7月30日 、9月に行われるカディマ党首選へ出馬しないとの声明を発表、事実上の首相辞任表明。前述の献金疑惑により与党内における彼の求心力が低下し、党首再選が困難になったことが理由と見られている。 9月21日、定例閣議にて正式に辞任を表明。11月26日、領収書の二重計上などの容疑で、最高検はオルメルトを正式に起訴する方針を表明した。2009年3月1日、最高検は前述の米国人実業家からの闇献金事件についても、首相退任後、追起訴する考えを明らかにした。 2008年12月末、ガザ侵攻を指示。これには翌年1月のアメリカ・オバマ政権誕生による中東政策の転換を危惧すると共に、2月の総選挙でのカディマ支持を高める狙いがあったと見られるが、選挙ではネタニヤフ率いるリクードに一議席差に迫られ、右派連立内閣誕生を許す事になった。 首相在任中を通して汚職問題が付いて回ったことからカディマ外交相ツィッピー・リヴニからリーダーシップを問われ、彼自身も現在はカディマを再選挙で勝たせるのは難しいと判断し、首相職からの辞任を願い出た。2008年9月の党首選ではリヴニが勝利したが、組閣には総選挙を待つことになった。2009年の2月20日に選挙が行われ、得票数ではカディマがライバルのリクードを辛くも上回ったものの、連立により議会の多数を占めたリクードを率いるベンヤミン・ネタニヤフに大統領シモン・ペレスは3月31日に組閣を命じた。 2015年12月、最高裁判所は50万シュケル(13万$)の収賄の疑いのうち6万シュケル分を認定し、6年の刑を18ヶ月に減刑した上で来年2月15日からの収監を決定した。イスラエル首相経験者で初めて収監される。別件でも8ヶ月の宣告を受けて、上告を検討中である。
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