預金との競争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 01:55 UTC 版)
「マネー・マーケット・ファンド」の記事における「預金との競争」の解説
1973年のオイルショックでインフレーションが進み、銀行預金の実質的価値が一層目減りした。1974年2月、ドレフュス商会(1994年にメロン・フィナンシャルと合併)のハワード・スタインがノーロードのMMF(Dreyfus Liquid Asset Fund)を開発した。年内に7億ドルを売上げ、全米の投信会社が模倣するようになった。こうしたMMFは銀行預金よりも利回りが良かったが、MMFで集めた資金は大口の譲渡性預金を購入しやすい金利のメガバンクへ向かった。ポール・ボルカーはその開発力を称えつつ、しかし銀行を淘汰する性質に対して斬新なら良いわけではないと苦言を呈した。ノーロード化に躊躇するフィデリティ・インベストメンツなどは、CMA(Cash Management Account、証券総合口座)を設定しMMF運用資金を株式購入に充てられるようにしたり、当座預金として使えるよう小切手を振り出せるようにしたりした。業界の動向は1970年代に起こったMMFへの大量資金流入の要因となった。 そこで銀行側が政治に圧力をかけた。1978年6月MMC(市場金利連動型預金)の設定を解禁させた。1万ドル以上の定期預金についても預金金利規制が緩和された。小口預金の預金流出は止まらなかった。1980年預金金融機関規制緩和・通貨管理法(Depository Institutions Deregulation and Monetary Control Act)が6年以内の預金金利の上限規制の廃止を決定し、自由金利の利付き決済性預金としてNOW勘定(NOW account)を全米レベルで認可した。1982年預金金融機関法(Garn–St. Germain Depository Institutions Act)の成立を受けて、市場金利連動型普通預金(MMDA)が解禁された。
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