難航を極めた開局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 05:33 UTC 版)
「秋田ケーブルテレビ」の記事における「難航を極めた開局」の解説
昭和50年代後半(1980年代前半)にかけ、全国各地で都市型CATVの開局が相次ぎ、早速、秋田でも秋田商工会議所を発起の中核として、1984年6月12日にCNAは設立。設立直後には、地元での購読シェアが実に90%以上を誇るともいわれる秋田魁新報に「秋田にも多チャンネルの時代が来る」などと謳われた広告が掲載され、当時NHK、民放局も含めて全4チャンネルのみの視聴しか叶わなかった秋田市周辺の住民は、CNAの開局に大きな期待を抱いた。しかし秋田放送・秋田テレビおよび秋田魁新報の地元マスコミ3社が、秋田商工会議所や関係機関等に「設立の再考」を訴えた他、バブル崩壊による景気の冷え込みもあり、設立事務所は同商工会議所内で休眠状態に陥ってしまった。 永らく開局に向けた前向きな話は聞かれなかったが、秋田商工会議所会頭で県経済界の顔役であった五代目辻兵吉が大々的に開局の音頭をとり、またその後の放送・通信分野の規制緩和による日商岩井と日本テレコムの資本参加を受け、会社設立13年目の1997年12月1日に開局に至った。開局後、秋田魁新報のラ・テ欄では読者からの要望も踏まえ、地元地上波放送局と同サイズでCNA加入者のみ視聴可能なTBS系列のIBC岩手放送(テレビ)の番組欄が掲載される様になった。 デジタル放送の再送信については、長野県内の一部ケーブルテレビ局によるキー局の無断再送信が問題となった関係で交渉が難航していたが、2010年4月1日に再送信開始に向けての試験放送を開始、同15日に正式に開始された。
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