集団化による犠牲者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 08:46 UTC 版)
「ソビエト連邦における農業集団化」の記事における「集団化による犠牲者」の解説
詳細は「ホロドモール」を参照 集団化とクラーク(富農)撲滅運動、そして飢饉(1932-34)によって多大な犠牲が出た。飢饉はすでに1929年末からはじまっていたともいう。 農業集団化に抵抗した農民は「クラーク(富農)」と認定され、何百万人も極北やシベリアの強制収容所グラグに強制移住させられた。マルクス経済学者の渡辺寛は強制収容所へ追放されたものは550万人で、多くは現地で死亡したとする。 集団化政策は農業に打撃をあたえただけでなく、飼料不足で家畜も死に、また、農民たちは自分が「富農」とみなされないために家畜を殺処分するなど、畜産の打撃もひどかった。1928年から33年までに牛と馬は半減し、羊と山羊は三分の一と激減した。1928-1933年のあいだに、牛は6000万頭から3350万頭へ、羊およびヤギは1億4700万頭から5000万頭へ、馬は3200万頭から1700万頭へ、豚は2590万匹から1220万匹に減った。 しかし、ソ連政府は強制調達をやめず、1932年から1934年にかけてウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンでも飢饉が発生し、数百万人が犠牲となった。 カザフスタンでは遊牧民の強制的定住化が行われたことが飢饉の原因ともなった。カザフスタンでの畜産は壊滅的な打撃となった。 ウクライナでは、当時の人口の一割以上の400万人から600万人が飢饉によって犠牲となった。ウクライナでの飢饉をウクライナ語で「ホロドモール」ともいう。 ソ連史研究者の塩川伸明は、飢饉の原因はソ連政府による過酷な穀物調達の強行にあったことは明らかで、この飢饉は人災であったとする。ただし、ウクライナ人を抹殺する意図があったかについては(1997年時点で)証明されていないと指摘する。
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