集団化による農業への打撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 14:54 UTC 版)
「ソビエト連邦における農業集団化」の記事における「集団化による農業への打撃」の解説
集団化、飢饉による犠牲者数については「#集団化による犠牲者」を参照 1930年初頭、農業の集団化が猛然と進行を開始すると、農民はコルホーズの所有となる前に家畜を食べたり、また飼料不足によって家畜が激減した。また、集団農場から大量の脱退者が出て、多くの集団農場が崩壊した。集団化の時期に追放または逃亡した農民は数百万とも1000万ともいわれ、100戸-110万戸(一戸あたり5人とすれば500-500万人)が消滅し、また追放者は1000万人にのぼるともされる。急激な集団化によって農村は混乱し、党員が襲撃されたり、コルホーズの建物が放火されたり、家畜や農具が破壊されるなどした。 1930年3月2日、スターリンは「成功による幻惑」論文を発表、集団化政策が末端で歪曲されていると苦言を呈し、責任を末端の党員に転嫁すると、これによりさらにコルホーズからの大量脱退が生じた。 コルホーズは国営のソフホーズと違って、財政的保障がなく、収益分配も最低保障がなかったことも苦境の一因であった。 1930年6月7月の第16回党大会でスターリンは工業化と農業集団化の勝利について語り、目標が達成できないのは「ブルジョワ反革命分子」による妨害と断じた。 1930年秋から31年春にかけて、勤労農民党、産業党、メンシェヴィキ・ヒーローなどが摘発され、同時期に、党内でもリューチン、スレプコフらが除名され、スイルツォフ、ロミナッゼらも異端分子として除名した。
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