雄琴神社 (大津市)とは? わかりやすく解説

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雄琴神社 (大津市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 05:24 UTC 版)

雄琴神社

本殿
所在地 滋賀県大津市雄琴2丁目10-1
位置 北緯35度05分38.67秒 東経135度53分49.68秒 / 北緯35.0940750度 東経135.8971333度 / 35.0940750; 135.8971333 (雄琴神社)座標: 北緯35度05分38.67秒 東経135度53分49.68秒 / 北緯35.0940750度 東経135.8971333度 / 35.0940750; 135.8971333 (雄琴神社)
主祭神 大炊神今雄宿禰命
社格 郷社
創建 伝・大同3年(808年
本殿の様式 一間社流造
例祭 4月29日
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鳥居
神紋抱茗荷

雄琴神社(おごとじんじゃ)は、滋賀県大津市雄琴にある神社旧社格郷社神紋は「抱茗荷[1]

祭神

主祭神
配祀神
いずれも正応4年(1291年相殿配祀

歴史

大同3年(808年)雄琴山上に鎮座したとされる。この時はまだ今雄宿禰は祀られておらず、土地神であったと推測されている。

仁寿元年(851年)今雄が雄琴荘を拝領、当地は小槻氏所領となる。社名・地名の「雄琴」は、今雄宿禰の邸から琴の音が聞こえていたためだともいわれる。今雄の死後、延長4年(926年)に子・小槻当平が社殿を造営し、一族の礎を築いた今雄の神霊を「雄琴社大炊神」と称して祭祀した。小槻氏により同市苗鹿にある那波加神社とともに氏神として崇敬され、ともに同地にある法光寺鎮守社を担ったとされる[3]。また鳥居前方にある福領寺は、当社の神宮寺であった。

元亀年間(1570年 - 1573年)の兵火で社殿以下が焼亡したが、延宝2年(1674年)再建された。

1908年明治41年)、近代社格制度において郷社に列した。

境内

  • 本殿 - 一間社流造で、間口一間、奥行一間三尺。
  • 中門
  • 拝殿 - 入母屋造で、間口二間・奥行二間。
  • 神饌所
  • 神輿庫

摂末社

現地情報

所在地

交通アクセス

周辺

脚注

  1. ^ 滋賀県神社庁ホームページより。
  2. ^ (田中延佳, 田村三郎, 吉田柳二 2002)では早良親王(諡号は「崇道天皇」)としている。
  3. ^ 『日本歴史地名大系 滋賀県の地名』法光寺項。
  4. ^ 摂末社はいずれも境内由緒書を参考にして記載。

参考文献

関連項目

外部リンク



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