陸上での戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 23:13 UTC 版)
大陸では1552年にアンリ2世がドイツのプロテスタント諸侯とシャンボール条約(英語版)を結んで同盟し、次にロレーヌの三司教領(ヴェルダン、メス、トゥール)を占領、1554年に侵攻してきたハプスブルク軍をレンティの戦い(英語版)で撃退した。ドイツでは戦いを優勢で進めたフランスであったが、イタリアでは敗北が続いた。1553年に皇帝軍とフィレンツェ公国の軍に攻められていたシエーナ共和国の支援としてトスカーナを侵攻するも翌年のマルチャーノの戦い(英語版)でジャン・ジャコモ・メディチ(英語版)に敗北し、シエーナも1555年に陥落、後にコジモ1世を大公とするトスカーナ大公国の一部となった。 1556年2月5日、フェリペ2世とアンリ2世の間でヴォーセル条約が締結され、フランシュ=コンテ地方をスペインに割譲したが、条約はすぐに破られた。 カール5世が1556年に退位してハプスブルク帝国をスペイン王フェリペ2世と神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の間で分割すると、戦場はフランドルに移った。フェリペ2世はサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルトと同盟してサン=カンタンの戦い(英語版)でフランスに勝利した。さらに優勢を拡大しようとイングランド王国を戦争に引き入れたがカレーが占領される結果に終わり(カレー包囲戦)、フランス軍は勢い余ってネーデルラントまで進軍してあたりを略奪した。 戦争はもうしばらく続くかと思われたが、その終わりは突如訪れた。1557年、スペインとフランスは相次いで破産を宣言した。さらにフランスはユグノーにも対処しなければならなかった。その結果、アンリ2世はイタリアへの主張を全て放棄する平和条約を受諾し、フェルディナント1世とフェリペ2世もロレーヌの割譲に同意した。
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