阪妻と『無法松の一生』とは? わかりやすく解説

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阪妻と『無法松の一生』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 06:32 UTC 版)

阪東妻三郎」の記事における「阪妻と『無法松の一生』」の解説

稲垣浩に「酒は行儀よく飲んで楽しむものだ」と教えたのは阪妻だった。阪妻お猪口飲んで決しコップ酒がぶ飲みはしなかった。自宅でも高脚の膳を据え夫人弟子に酌をさせた。あるとき弟子のひとりに杯を出したので、弟子いただけるものと手を出すと、「お酌だよ、お前なんか台所グッといけ」と言ったこのように弟子に杯をやるなどということはめったにしない阪妻が、あるとき突然台所茶碗酒だのコップ酒をやり始め夫人弟子驚いた普段は膝も崩さない阪妻大胡坐をかいて酒を飲むありさまに、撮影所不愉快なことでもあったのかと心配したというが、それは『無法松の一生撮入前の役作りだったことがあとでわかった。『無法松』の現場では、よく吉岡夫人になりきった園井恵子お茶静かにたて、「先生お茶入りました」とすすめていた。阪妻無法松忘れずへりくだってお茶いただいていた。 阪妻が『無法松の一生』に主演してから、舞台となった九州小倉には松五郎の墓や碑が出来たうえ、映画阪妻見せた小倉祇園太鼓早打ちは、フィクション現実になってその後祇園太鼓基本打ち方になってしまった。 1944年昭和19年)、日華合作映画狼火上海に揚る』で阪妻稲垣二人で上海渡ったが、あるとき場末小店ワンタン食べに入ると、店の主人使用人が彼らを見てコソコソ囁いている。阪妻が「どうやら僕を知ってるらしいね」と言うので「日本人だからだろう」と稲垣答えると「違う。ワンポーツォー(黄包車)とかパントンとか言ってるよ」と言う現地撮影所では「阪東妻三郎」は「パントン・シーサンラン」と呼ばれていたので、阪妻にはすぐわかったのである。「黄包車」は「人力車」のことで、彼らは『無法松の一生』を観たようだった阪妻ニコニコ顔立ち上がり、「うん、我姓(ウォーシン)、阪東妻三郎(パントン・シーサンラン)、你的(ニーデ)、黄包車(ワンポーツォー)の電影デンエイ)、観観(カンカン)か、うん、そうかそうか」とあやしげ中国語返す主人大喜び恐縮しながら立派な紙と筆を捧げてサイン求めた。その戻り阪妻稲垣に「日本映画も、やっと国際的になったね」と言った

※この「阪妻と『無法松の一生』」の解説は、「阪東妻三郎」の解説の一部です。
「阪妻と『無法松の一生』」を含む「阪東妻三郎」の記事については、「阪東妻三郎」の概要を参照ください。

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