開港場としての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 14:14 UTC 版)
近代に入ると東京と大阪を結ぶ鉄道路線を建設することとなったが、その資材の陸揚げ先として沼津港・清水港と共に武豊港が選ばれ、沖合に向かって長さ約145m×幅約6mの桟橋が造られた。1886年(明治19年)3月1日には愛知県初の鉄道路線として武豊線(現在のJR武豊線)が開業した。1887年(明治20年)には武豊港で国内初の陸海軍合同演習が実施され、明治天皇・皇后が観覧した。 1899年(明治32年)には四日市港や清水港など全国の21港とともに、武豊港が愛知県初の開港場(外国との貿易港)に指定され、武豊港には大阪税関武豊支署が設置された。武豊港の開港日は勅令が施行された1899年(明治32年)8月4日とされる。外国から石油・石炭・穀物などが輸入され、鉄道の武豊線や東海道本線などで中部地方各地に輸送された。武豊港から大豆が輸入されたことで、知多半島では味噌とたまり醤油の生産量が拡大し、反対に清酒の生産は衰退した。 1930年(昭和5年)には武豊線に貨物専用線の武豊港駅が開業し、武豊港から石油タンクなどが運ばれた。1933年(昭和8年)の輸出入貨物量は全国第12位であり、まさに武豊ブームと言える状況だった。1936年(昭和11年)には武豊港の輸出入貨物量がピークに達したが、その後は太平洋戦争の影響もあって急激に貨物量を減らした。
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