開港場・開市場での検勘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 04:13 UTC 版)
19日の会談終了後、澤と大隈・伊藤は直ちに久世治作・上野景範・花房義質ら若手官僚と東京の有力両替商からなるチームを編成して全国の開港場・開市場で外国人の保有二分金の検勘を開始した。東京・横浜の外国人に対しては21日に各国公使を通じて提出させた二分金の検勘を23日より開始して、東京では同日中、日本屈指の貿易港であった横浜でも25日までに終わらせることに成功した。大阪と神戸では25日に提出・26日に検勘、長崎では27日に提出・28日に検勘、新潟では8月3日に検勘、最後の函館では8月12日に検勘が行われた。これによって各国の公使や商人達に明治政府の本気ぶりを見せるとともに海外に流出した贋二分金を日本に再度持ち込ませて検勘を受けさせる時間的余裕を与えなかったのである。封包した贋の二分金は9月より翌年3月にかけて各開港場・開市場で順次正貨に引き換えられた。外国商人達は日本側のこうした強硬なやり方に不満を抱いたものの、公使達がこれを受け入れていること、正貨との等価交換によって不十分ながらも補償を受けられたと判断されたことで損害賠償などを求める動きは一応収束することになった。
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