閉校へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 03:15 UTC 版)
「東京都立秋川高等学校」の記事における「閉校へ」の解説
1993年(平成5年)11月30日、産経新聞は「全寮制風前の灯」との見出しで本校での生徒減少について報じ、都教委が寮制度の廃止を含めて検討していることが初めて明らかとなった。 1994年(平成6年)1月、読売新聞は「曲がり角の秋川高校」との記事を掲載したのに続き、7月には「模索の30年 全寮制・秋川高校」との特集記事を3回に渡って掲載した。第一回「負担」では、夜の寮内で生徒が騒いでも教師が一言注意するだけで寮内秩序が崩壊した様子を紹介し、本校が目標とした「寮生活を通じた人間形成」の寮生活自体が生徒の負担になっていると指摘した。二回目「激務」では、舎監の一日を紹介。昼の授業、部活動の指導、夜間の寮管理に加え、家庭訪問や生徒指導など激務により教師の疲弊を指摘した。三回目「改革」では、H教諭の意見を紹介。本校で生徒の問題行動が多い理由を、「入試や教師の配置などが他の都立校と横並びになっていることが問題の根源」とし、「生徒の大半は寮生活を希望したわけでなく、偏差値で入学している。50人の教師が、そんな生徒を何百人も指導するのは無理」とした。また、1994年(平成6年)から定員を160名にしたことで問題行動が減り、改革の方向性は生徒数を減らすことにより、教師が担当する生徒数を減らすことにあるのではないか、と指摘した。 1997年(平成8年)11月、都教育庁は正式に閉校を決めた。宗方俊彦前校長は「廃校にするなら、何故、秋川のケースは失敗したのかを検証する必要がある」と産経新聞紙上で述べている。 募集定員は開設当初240名であったが、1994年(平成6年)に160名、1995年(平成7年)より120名、1997年(平成9年)からは80名、1999年(平成11年)より新規募集停止、2001年(平成13年)3月第34期生の卒業をもって閉校した。卒業生の累計は5,715名であった。
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