閉校と統合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 03:32 UTC 版)
1928年竣工のプールは半世紀以上も水泳学習に使用されていたが、1980年には横12m×縦20m×深さ1.2mの現代的なプールが完成した。 1988年には児童数減少に悩む京都市内の小学校で地元自治会やPTAによる検討会が盛んに行われ、学校統合を望む意見が多いことが明らかとなった。1991年には学校統合の合意書がPTAや元学区代表者から京都市に対して提出され、立誠校・京都市立生祥小学校(生祥校)・京都市立日彰小学校(日彰校)・京都市立明倫小学校(明倫校)・京都市立本能小学校(本能校)の5校が統合することが決定した。 最終年度となった1992年度には入学者がいなかったため入学式を行っていない。立誠校は1993年3月31日に閉校となり、5校が統合して1993年4月1日に京都市立高倉東小学校が開校した。高倉東小学校という校名は公募によるものであり、校章も公募、校歌のみは専門家に依頼された。3月24日に行われた卒業式では11人の6年生が卒業し、翌3月25日の閉校式で124年の歴史に幕が打たれた。閉校後の校地は高倉東小学校第二教育施設となり、1995年には高倉東小学校が高倉西小学校と統合されたため、京都市立高倉小学校第二教育施設となった。一般的には元・立誠小学校と呼ばれて様々なイベントが開催されている。 閉校によって学校の周囲での風俗関係店舗の営業を禁じている風適法第28条の適用外地域が広がったため、高瀬川に沿った木屋町通は性風俗店が立ち並ぶいかがわしい界隈に変貌した。
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