寮制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 14:54 UTC 版)
設立当初は地元の児童生徒を対象とした小規模の私塾であった「渡辺の門」だが、塾長の教育方針に賛同する者が増え、次第に地元以外からの入塾希望者も出てくるようになった。 そのため寮が建設され、日本全域から、時には台湾からの入塾者も抱えるようになった。最盛期には100名を超える入寮者がいたとされる。入寮期間に特段の定めはなく、中学校卒業時点、高等学校卒業時点などの節目で保護者が退寮希望を出すケースがほとんどであった。まれに大学卒業時点まで寮生活を送った者もいた。 主に小学生が西寮と呼ばれる棟に居住し、中学生、高校生は東寮に居住していた。昼間は地元の公立学校(小学校は韮崎市立韮崎小学校、中学校は韮崎東中学校)に通い、早朝・夜間および休日は塾での教育を受けた。韮崎市民から入寮者は「塾生」「寮生」と呼ばれることが多かった。 入寮者の中には、「渡辺の門」がスパルタ教育を行っているがゆえに、進学指導よりもむしろ、心身修練のために保護者から強制的に入寮させられた子も多くいた。塾生の中には塾頭自身の孫も所属していた時期があった。
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