長州藩の処分問題とは? わかりやすく解説

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長州藩の処分問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:35 UTC 版)

参預会議」の記事における「長州藩の処分問題」の解説

八月十八日の政変京都追放され長州藩その後失地回復目指し政治工作続けていた。実際当時京都には長州藩への同情論も多く政変主導した中川宮がかえって「恐らくは魔王所為か、恐るべし、危むべし」と悪評被っているほどであった。しかし孝明天皇長州対す逆鱗解けず長州派の池田茂政備前藩主)、上杉斉憲米沢藩主)、池田慶徳鳥取藩主)、浅野茂長芸州藩主)、藤堂高潔津藩主)などは続々京都から退いていた。長州藩家老根来上総井原主計らを大坂派遣し、たびたび長州無罪訴え嘆願書提出を図るが、入京許されなかった。 しかし、12月24日関門海峡通過中の薩摩藩蒸気船長崎丸(幕府から借用)が、長州藩占領していた豊前田野浦(本来は小倉藩領)砲台から砲撃され沈没する事件発生。これが京へ伝えられる久光激怒し長州征伐即時実行もしくは藩主父子大坂召還などの強硬処分主張した。これに対し、容堂は将軍江戸帰府の後、江戸へ呼び出す方が良い主張して対立し難航した結局長州家老大坂召還し七卿引き渡し命じ従わない時は征伐実行するという方針となる。

※この「長州藩の処分問題」の解説は、「参預会議」の解説の一部です。
「長州藩の処分問題」を含む「参預会議」の記事については、「参預会議」の概要を参照ください。

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