鏡の出土
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 18:39 UTC 版)
2000年現在、確認されている異体字銘帯鏡は786面で、うち日本での出土は56遺跡、152面である。異体字銘帯鏡も他の鏡式と同様に面径によって区分が可能とされる。高倉はこの違いを製作時期の違いとしたが、2000年現在は面径による格付けと考えられている。異体字銘帯鏡は15㎝を超えるものは出土数が少なく、前漢諸王の墓からも出土する。これらは大型であるだけでなく、銘文の省略が少なく、研磨も丁寧に行われている。一方で出土の大半を占める10㎝程度のものは作りが粗悪なこともある。 日本では弥生時代中期中頃から後半とされる、三雲南小路遺跡からの出土が最も早いと考えられる。ここで出土する異体字銘帯鏡は共伴する他の漢鏡と同様に大型であり、特別な入手であったと想定される。続く須玖岡本遺跡D地点では20面以上、立岩遺跡では10面の異体字銘帯鏡が出土しており、弥生時代中期後半までに北部九州を中心に100面余りが流入していたと考えられる。 続いて弥生時代後期前半までに有明海沿岸地域を中心に長崎・大分・中国地方・四国地方に広く拡散するようになる。これらに大型鏡はなく、後続する方格規矩鏡などの鏡式を共伴しないことが特徴である。また、弥生時代後期には須玖岡本遺跡を中心に異体字銘帯鏡を模倣した弥生小型倭製鏡の生産が行われるようになるが、この模倣鏡の出現について西川は、異体字銘帯鏡の不足を補ったと推測している。 以上の様相を踏まえて西川は、中国からの異体字銘帯鏡の流入と、弥生時代中期ごろから現れる拠点集落・超大型建物・巨大墳丘墓などの社会格差が生まれたことが相関しており、同時期に社会構造の再編が行われたと推測している。
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