錦川小学校とは? わかりやすく解説

錦川小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/06 18:20 UTC 版)

河内長野市立川上小学校」の記事における「錦川小学校」の解説

河内長野市立錦川小学校は、大阪府河内長野市にあった公立小学校川上小学校への移転統合によって閉校した校舎は、錦川バス停から西へ100mの所に存在した。現在は校門門柱や、卒業制作作品一部残っている。また、同所石碑立てられている。 1872年明治5年8月 - 鳩原村会所にて郷学校出張所として開校する1873年明治6年5月 - 郷学校出張所母体に、河州第十一番小学校として錦部郡鳩原地蔵寺廃墟地に開校する鳩原、鬼住、小深寺元太井石見川校区とする。 1874年明治7年11月 - 河合寺、鬼住、寺元校区とする河州第十一番小学支校(後の楠郷小学校)を分離する校区鳩原小深太井石見川となる。 1875年明治8年5月 - 鳩原小学校改称される1876年明治9年) - 小深石見川校区とする石見川小学校分離する校区鳩原太井村となる。 1887年明治20年4月 - 鳩原石見川小学校それぞれ小学簡易教場となる。 (年次不明1889年明治22年)頃 - 石見川小学簡易教場かわって小深尋常小学校開校する1893年明治26年) - 小学校令により簡易教場廃止となり、鳩原小学簡易教場鳩原尋常小学校となる。 1901年明治34年12月1日 - 鳩原尋常小学校小深尋常小学校合併し川上村大字太井錦川尋常小学校開校する。名称はこの前年には「川上小学校」が新校名に用いることが決まっていたが、理由不明ながらも改められ命名された。由来不明であるが、旧郡名錦部郡の「錦」と名の川上村の「川」をとっての命名ではないか推定されている。 1902年明治35年) - 修業年限2年尋常小学校補習科併設する1924年大正13年4月1日 - 高等科併設し、錦川尋常高等小学校改称する1935年昭和10年4月1日 - 青年学校分教場設置される1941年昭和16年4月1日 - 錦川国民学校改称する1947年昭和22年4月1日 - 新学制により、高等科廃して長野町立錦川小学校に改称する1954年昭和29年4月1日 - 市制実施により、河内長野市立錦川小学校に改称する1984年昭和59年3月31日 - 河内長野市立川上小学校移転統合する

※この「錦川小学校」の解説は、「河内長野市立川上小学校」の解説の一部です。
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