鋳造と初期の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 22:32 UTC 版)
自由の鐘は1751年に、現在は独立記念館として知られており、フィラデルフィアに位置するペンシルベニア州議事堂での使用を目的として、ペンシルベニア州議会により鋳造を委託された。鐘はイギリス、ロンドンにある鐘メーカーのホワイトチャペル社により製作され、1752年8月下旬から9月初旬にかけてフィラデルフィアまで届けられた。 1753年3月、自由の鐘は議事堂外側の中庭広場にある、一時的に建設された足場から吊り下げられた。しかし、見物者にとってはがっかりしたことであろうが、初めて鐘が鳴らされた際に鐘にひびが入ってしまった。ペンシルベニア議会の議長アイザック・ノリスは、たった一発鐘を鳴らしただけでひびが入ってしまったことを聞き無念を覚えたと書き綴っている。 このホワイトチャペル社が製造した鐘を撤去する間、苗字の刻印がその表面に刻まれてもいるように、自由の鐘はフィラデルフィアに住んでいたジョン・パスとジョン・ストウによって再び鋳造された。パスとストウは、製作する鐘の材料となる合金の合成に銅を加えたが、こうして完成した新しい鐘の音は満足のゆかないものであった。そして再び新しく鐘の製造に取り掛かり、正しい金属比の割合へ戻した後、この3番目となる鐘が1753年6月に議事堂の尖塔に掛けられることとなった。 アメリカ独立の初期にかけても、自由の鐘はペンシルベニア議事堂の尖塔に依然として吊り下げられたままであった。議事堂は1775年から1776年にかけて第2回大陸会議の討議のために使用されていた。 1777年9月、アメリカ独立戦争が激しさを増し、イギリス軍がフィラデルフィアを襲撃しようとした時、鐘はペンシルベニア州の村であるノーザンプトンタウン(現アレンタウン)の位置する北方へと移された。その後鐘は1778年にイギリス軍が撤退するまで、オールド・ザイオン改革派教会の床の下に隠された。今日では、このアレンタウンの教会の地下がリバティ・ベル博物館となっており、自由の鐘のペンシルベニア州公式レプリカが収蔵されている。
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