金銭登録機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 19:17 UTC 版)
精一は父の事業を手伝っていたが、1923年関東大震災の前後高価な金庫の需要が減りまた進歩した海外製品が輸入されるようになって父の事業は窮地に立たされた。このため精一は父の事業の手伝いを止めて輸入品に対抗できるキャッシュレジスター製造を決心、鉄道人夫の空き家を借りて食事は家族より握り飯を差し入れてもらって研究する毎日となり「間宮の坊やは頭が変になった」と言われつつ「間宮式加減算機」を発明、さらにはそれをベースに1926年日本初のキャッシュレジスター「間宮式金銭登録機」を発明し、1927年5月には試作に成功した。舶来品より国産は低く見られた時代で当初この製品はなかなか売れなかったが、1928年に国産振興博覧会に出品し優良国産賞を受け、表彰式の場で役員だった藤山雷太に事業化を訴え、藤山雷太は息子の藤山愛一郎を紹介、藤山愛一郎から資金の提供を仰ぎ1928年間宮堂を改組し藤山愛一郎を社長として日本金銭登録機株式会社(現日本NCR)が設立され、間宮精一はこの会社の技師長となった。世界でも2番目のレジスターメーカーである。この会社は1935年にNCRの日本法人となったため、レジスターの国産化を目標としていた間宮精一は1937年5月に退社、カメラ開発に転身した。
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