金鉱の発見
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「ボディ (カリフォルニア州)」の記事における「金鉱の発見」の解説
1859年、この地でW・S・ボディ(W. S. Bodey、Bodyとも綴る)によって金の鉱脈が発見された。ボディという地名はこのW・S・ボディにちなんでいる。同年11月、ボディはモノビル(Monoville)に物資調達のための旅の後、ブリザードによって死亡した。 その後しばらくの間ボディは何人かの探鉱者と鉱山会社の社員たちが住む小規模な鉱山キャンプに過ぎなかった。しかし1876年、スタンダード社(Standard Company)が商業量に達する金の埋蔵量のある鉱脈を発見すると、ボディは急速に鉱山町として発展し始めた。さらに翌々年の1878年にもボディの近くで豊富な埋蔵量を有する鉱脈が見つかった。1880年頃には、ボディの人口は10,000人近くに達した。 ゴールドラッシュに沸いたボディの町は、他の多くの辺境の町同様、無法地帯としても知られていた。全盛期にはボディには60軒のバーが建ち並んだ。殺人、バーでの暴動、馬車のハイジャックなどは日常茶飯事であった。 ボディにまつわる逸話もあった。一家でボディに引っ越すことになったとき、ある夜にある少女がGoodbye God, we are going to Bodie.(さようなら、神様。私たちはボディに行きます)と祈ったという。しかし地元の記者はこれに関して、少女はGood. By God we are going to Bodie.(すばらしいわ。神様の思し召しで、私たちはボディに行くの)と祈ったのだと主張した。 ボディで採れた金は、ネバダ州の州都であり、金の集積地であったカーソンシティに送られた。ボディからカーソンシティへ金を運ぶ道中、大抵は武装した護衛がついていた。カーソンシティに着いた金は列車に積まれ、サンフランシスコの造幣局に送られていった。
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金鉱の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/13 09:55 UTC 版)
もともと金鉱の噂があったが、1874年にカスター将軍がブラックヒルズに豊かな金の脈があるとして金鉱床を発見してゴールド・ラッシュが起こり、以来、白人の探鉱者によって第二次ララミー砦条約(英語版)を無視した進入が激増して行き、スー族の聖なる土地のあちらこちらを破壊していった。彼らの作った道はカスター道と呼ばれる。このため、聖地ブラックヒルズを守るスー族との間で激しい戦いが繰り広げられている。
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