野田藤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/01 00:15 UTC 版)
「春日神社 (大阪市福島区)」の記事における「野田藤」の解説
この地はフジの一種である野田藤(ノダフジ)が、植物学者の牧野富太郎により命名されるきっかけとなった場所といわれている。(このことにより、世間では『野田藤発祥の地』と呼ばれることもあるが、人工種でないノダフジの『発祥の地』を知るすべは無い) 古くは室町時代の1364年に二代将軍足利義詮が住吉詣の途中に、この地で藤を鑑賞したといわれている。そのときに詠まれた歌が、『野田の藤跡碑』に刻まれており、「むらさきの雲とやいはむ藤の花 野にも山にもはいぞかかれる」。また、「いにしえの ゆかりを今も 紫の ふし浪かかる 野田の玉川」と詠んだとも言われている。その後、玉川の藤は「吉野の桜、野田の藤」と並び称せられた 1594年には豊臣秀吉がこの地を訪れて藤を鑑賞し、休息した茶店「藤亭」で彫らせた額「藤庵」は、現在まで藤家に伝わっている。(この藤庵の庭は、現在は下福島公園内に移設復元されている) 『摂津名所図会』によれば、江戸時代には茶店など出て賑わったと書かれている。その後、明治以降の急激な都市化や、第二次大戦での被災、阪神高速3号神戸線建設などでこの地の野田藤は壊滅状態になった。近年、野田藤の名所の復活のため、近隣の公園や学校で残った古木の種子を元に栽培が行われている。
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