遺留品の捜査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 00:26 UTC 版)
二番目の「不審者の発見」も大きな期待が持てなかった。広大な敷地の駐屯地周辺は、昼間でさえ一般の通行が少ない。夜間の通行は外出の自衛官だけとなっていた。辛うじて期待が持てたのが、三番目の「遺留品の追跡」であったが、高度経済成長による大量生産と都市化により、昭和40年代になると遺留品の捜査も難しいものとなっていた。 眼鏡 一場士長は眼鏡をかけていなかったので、犯人の物とされた。眼鏡を詳しく調べると、それは業者が「ワンブリッジの白玉」と呼ぶ、度の無いダテ眼鏡であった。福井県鯖江市の業者が製造し、製造個数は120個程であったが、2千円程の安物で卸し先が池袋、新宿、渋谷の露天商だったため、販売した客の特定は先ず不可能であった。 腕時計 腕時計の一つは一場士長のものと判明し、もう一つは犯人の物とされた。セイコー・スポーツマチック5型で、内蓋に「S46・7」と赤鉛筆で書かれていたため、事件の一か月前に修理されたものと推測された。捜査本部が5万枚のチラシを関東一円の時計屋に配って捜査したところ、東京都品川区大井の修理工が修理したものと判明したが、客の修理依頼によるものではなく、質流れの時計を修理し、再び質屋に卸して販売したものであった。その時計は8月13日の夕方、長髪にサンダル履きの若い男に5千円で販売したことがわかった。サンダル履きということで、犯人のひとりは大井が行動範囲であるとみられた。 ヘルメット 2個のヘルメットは、表面全体を赤のペンキで塗り潰し、黒のペンキで「赤衛軍」と書かれていた。ペンキを剥がすと正面に薄っすらと「S」のマークが出てきた。紙やすりで削った跡があったが、完全には削り取っていなかった。このヘルメットは中央区日本橋に本社がある工務店のもので、7月24日から27日の間に世田谷区赤堤の工事現場で盗まれた4個のうちの2個であることがわかった。この工事現場は京王線下高井戸駅から日本大学文理学部へ続く「日大通り」にあった。 遺留品捜査は、犯人の行動範囲が東京の大井、下高井戸であることがわかったが、それ以上の進展は望めなかった。
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