遺体と副葬品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:08 UTC 版)
和宮が埋葬された増上寺の徳川家墓所は、現在の東京プリンスホテルの場所にあったが、1950年代に同地が国土計画興業に売却されたため、和宮をはじめ、歴代将軍及びその正側室の墓所と遺骸も発掘・改葬された。その際の調査結果をまとめた『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』によると、和宮の血液型はA型かAB型で、身長は143.4cm、体重34kg(いずれも推定)であり、骨格の形状から極端な反っ歯と内股が特徴の小柄な女性であったと推定されている。この際、左手の手首から先の骨がいくら探しても見つからなかった。増上寺にある和宮の銅像や日本女子会館にある和宮の銅像も左手は不自然に隠れており、また肖像画には左手が描かれていないことから、彼女が生前何らかの理由で左手首から先を欠損していたのではないかとの推測もある。 古墳はともかく、陵墓や陵墓参考地の大半が宮内庁の方針により事実上の学術調査不可となっている現在、和宮は墓所が発掘調査された数少ない皇族である。 また、和宮の棺からは烏帽子に直垂姿をした若い男性の写真乾板が副葬品として見つかったが、その後の保存処理が悪かったため、翌日には乾板はただのガラス板になっていたという。この男性の正体は未だに不明であるが、夫の家茂である可能性が強い。あるいは婚約者だった有栖川宮熾仁親王ではないかとの指摘もある。 近年、和宮が降嫁に際し中山道を通って江戸へ向う途中、信州小坂家で休息した折、小坂家の写真師が撮影した和宮の写真が発見された。これはポジのガラス乾板で軍扇に収められており、複写したものが小坂家末裔の小坂憲次から阿弥陀寺に寄進されている。 この写真の和宮からは、袿の袖からわずかに両手の先を出している姿が確認できる(ただし、この写真に写っているのが本当に和宮本人かを疑問視する説も存在する)。
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